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摘水軒コレクション展示を図書館で開催

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 摘水軒記念文化振興財団は、書画、墨跡、文書、石碑など、数々のコレクションで名高い柏市の文化財団です。
 この度、全面的なご協力を得て、その貴重な作品を、月替わりで展示することとなりました。
 めったに目にすることのできない秘蔵の名品をご覧ください。

*摘水軒コレクション展示スケジュール*

期間 / 平成22年1月~12月(4月以降のスケジュールは、随時お知らせ致します)
場所/ 日本橋学館大学図書館(図書館開館時間内のみ閲覧可・入場無料)
*詳しくは、図書館HP(http://www.nihonbashi.ac.jp/library/index.php)、もしくはお電話(04-7167-8655代)でお問い合わせください。

<1月の展示:周幽斎夏竜「見立て正月万歳図」>
 周幽斎夏竜(生没年:不詳)は、天保頃(西暦1840年頃)に肉筆浮世絵の美人画を描いた絵師です。
 佐賀鍋島藩の家中に住んだ事が知られる以外に師弟関係などの詳細は不明ですが、その作風から喜多川歌麿の影響が指摘されています。
 現存する作品は極めて少ないものの、本「見立て正月万歳図」と同様の美人大首絵である「円窓美人文書き図」(肉筆浮世絵第10巻・昭和58年2月28日・集英社発行)や「笑む女図」(旧小針コレクション)、「見立て琴高仙人図」(ギリシャ国立コルフ・アジア美術館蔵)などが知られています。


<2月の展示:葛飾北斎「雪中鷲図」>
 葛飾北斎(生没年:西暦1760~1849年)は「富嶽三十六景」など浮世絵版画の代表的な絵師として有名ですが、優れた肉筆画も数多く遺しています。
 90歳で没するまでに春朗・宗理・辰政・北斎・画狂人・卍など30を越す雅号を名乗り、精力的に創作を続けました。
 本「雪中鷲図」は天保十四年(1843年)北斎84歳の作品で、微笑むように人を睨み付ける鷲の表情に老いて尚盛んな北斎の人柄が伺えるようです。
 1900年に上野で開催された北斎展に出品された後、永らく海外に流出していた作品ですが、10年程前に財団が入手して国内に里帰りしました。


<3月の展示:岡本秋暉「梅花孔雀図」>
 岡本秋暉(生没年:西暦1807~1862年)は小田原藩の武士で、花鳥画を得意とした絵師です。
 小田原城の天守閣を飾る板絵や交友のあった二宮尊徳の肖像画(神奈川県指定重要文化財)などの優品を遺していますが、取り分け孔雀の絵を能くし「若冲の鶏」・「狙仙の猿」・「光起の鶉」などと並び「秋暉の孔雀」として有名です。
 弘化年間に寺嶋家に逗留し、春秋花鳥図屏風・四季花鳥図襖絵などを遺しています。

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<4月の展示:市川其融「群鶴図」>
市川其融(いちかわきゆう:生没年不詳)は、江戸詰の古河藩士で、名は泰度、字は子高、通称は其二で、端斎・澹々と号しました。
幕末江戸琳派の大家・鈴木其一の門弟で、嘉永~安政年間の制作作品が確認できます。
京都の町衆出身の俵屋宗達と尾形光琳の画風を19世紀の江戸で受け継いだ、酒井抱一とその弟子鈴木其一たちを、とくに宗達・光琳などの京都で活躍した人々と区別して、江戸琳派と呼んでいます。
琳派芸術を貫流する優美な装飾性と情緒性、そして古典的な文学趣味に、粋と通を重んじ、俳諧に長じた19世紀初頭の江戸人の繊細な感覚が加わり、瀟洒な装飾美を求めたところに、江戸琳派の特色があります。

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<5月の展示:慶長期「武家弓競図」>
桃山時代を挟み、16世紀初めから17世紀中頃までの150年間程の期間を、絵画史上の近世初期と呼びます。
その時代は、自らの生きる現世に対する理解を否定的に捉えて「憂世」と著した厭世的価値観から、現世を肯定的に捉えて実生活を謳歌しようとする「浮世」的な価値観へと変わって行きました。
その時代精神を反映して、多様な主題をもった風俗画が盛んに描かれましたが、これらを総称して近世初期風俗画と呼びます。
本作品もその近世初期風俗画の一つで、これらの風俗画を母体とし、それに続く寛文年間に流行した一人立ち形式の寛文美人図を経て、浮世絵が誕生することになります。

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<6月の展示:森狙仙「猿公図」>
森狙仙(もり そせん:生没年1747年~ 1821年)は、狩野派や円山応挙などの影響を受けながら独自の画風を追求し、養子森徹山へと連なる森派の祖となりました。
主として動物画を描き、とりわけ猿画を得意としたので、「若冲の鶏」や「光起の鶉」などと並び、「狙仙の猿」として通り名で知られています。
猿画に習熟するにあたって、猟師に生け捕りしてきてもらった猿を観察して猿画を書きましたが、それでは自然そのままの猿を知ることができないと知人に指摘されたため、山野で猿を観察することに数年を費やしたという伝説があります。